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【竹垣の作り方】網代袖垣と市松垣 〜日本庭園(枯山水・石庭)の作り方 その5〜

市松垣
用語集:蓬莱神仙思想  タップ又はクリックすると説明が読めます。
蓬莱島・蓬莱山ともいう。中国の神仙思想で、方丈・瀛洲とともに三神仙島とされた。東海のなかにあって神仙が住み、不老不死の地と考えられた仮想の海島で、巨大な亀の背中に載った島との解釈もあった。

中国では、紀元前2世紀に前漢の武帝が太液池に蓬莱をはじめとした神仙島を築いたことが『漢書』に見え、さらに6~7世紀に築造された唐の大明宮の太液池でも蓬莱島が築かれるなど、中国の皇帝庭園ではきわめて重要な要素であった。

神仙思想は日本には百済などを通じて飛鳥時代に伝えられ、飛鳥京都跡苑池遺構の南池の島などは、蓬莱をモチーフとしていた可能性がある。奈良・平安時代にも、園池の島が、蓬莱などの表現を意図したものであることも少なくなかったと見られ、平安後期の鳥羽離宮庭園の園池については「或いは蒼海を模して島を作り、或いは蓬山を写して巌を畳む」(『扶桑略記』)といった表現が見られる。

それ以降も園池の島を蓬莱と見立てる風潮が続き、江戸時代には多くの園池で蓬莱島が築かれることになる。蓬莱が海中の島であることに鑑み、橋を架けないことを原則としたが、回遊などの便宣上架橋されることも少なくなかった。また、マツを植えるのが通例で、蓬莱と亀の関係から、亀島との習合も見られる。

日本庭園(枯山水・石庭)の作り方 その1〜その4をお読みになっていない方はこちらからどうぞ。

十川日本庭園研究室です。今回は日本庭園(枯山水・石庭)の作り方として、竹垣(網代袖垣と市松垣)の製作過程をご紹介させていただきます。その1からお付き合いいただきました皆様、誠にありがとうございます。また、今回が当研究室HPを初めての閲覧の方も、是非とも他の投稿もご覧ください。

なお、竹洗いについては実験を重ねた結果、現時点ではキッチンハイターが一番良い方法だと思います。この工法は竹を組んだ後に洗えるので無駄がなく、女性や子供でも簡単にできます。また、自宅をはじめ何度も使用したその後の経過で5年以上は持つようです。防腐剤と合わせてご使用することで長持ちします。

①網代袖垣の製作

用語集:網代垣  タップ又はクリックすると説明が読めます。
細い竹や割り竹を網代形に組んでつくった垣根で、別名は沼津垣(ぬまずがき)とも呼ばれます。耐久性に優れた機能と外観美を併せ持ち、茶室においては水屋の戸などに使われることがあります。

網代垣の竹を剥ぎます。

三枚三本飛ばしで網代を編みます。

手バールで調整した後ビス止めします。

長い部分を切って次に回します。

張り付け後に端を切りそろえて洗います。

押縁を付けます。

裏に単幹パイプを打ち込み、銅線で止めます。

立込み後に押縁の「州浜(すはま))」をかけます。

用語集:州浜(すはま)  タップ又はクリックすると説明が読めます。
もとは河川からの土砂の堆積地にできる、入り組んだ浜辺のことを示し、それを図案化した意匠で文様化したもの。洲浜紋などがあります。屋根瓦の意匠にも使用されています

網代袖垣が完成しました。斜めに設置することで、庭で回った風が室内に吹き込みます。

②市松垣の製作

ガレージ側に杉皮の「あそび」を入れた市松垣を作ります。遠近法で竹の太さを変えるので、まずは太竹を市松に取り付けます。杉皮部分は透けた時のために色を塗ります。

仮置きしてバランスを見ます。

ビス止めした後、押縁をかけます。

中性洗剤で洗います。

次に中太竹を市松に張り付けます。  工程は前回同様です

最後に細竹を市松に張り付けます。こちらも工程は前回同様です。

正確に立込むため、裏にチョウツガイを付けます。

単幹パイプとステーで設置します。

屏風のように織り込むことで、室内に涼風が吹き込みます。 また、意図的に遠近法を使い、室内から遠く見える構造です。

竹垣の基本的な工法はこちらでも確認できます。

参考  竹垣作りのコツ

③あとがき

この仕事について三十余年、始めの五年間は植木の手入れもなく穴掘りだけで、その後は掃除と草取りばかりしてきました。中でもお茶会前の蹲踞(つくばい)が一番難儀で、使わない手水鉢はボウフラが湧き、常に海には落ち葉が溜まっていました。

だからこそ、この庭にたどり着いた気がします。清めは茶の湯を生業としている方は修行の一環としてとらえますが、我々業者は今後、管理について深く考えなければならないのではないでしょうか。現代社会において庭は3年もやれば誰でも作れます。しかし後世荒らさずに、本当に良いものを作ることがどれだけ困難かを理解していただきたいのです。

私も「日暮れて道遠し」の未熟者ですが、本当に日本庭園が好きです。今後も皆様と共にお金で買えない価値を追求したいと思いますので、よろしくお願いいたします。

追補編(その6)の前編はこちらからどうぞ

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代表・作庭家紹介

十川日本庭園研究室 十川洋明

十川 洋明(トカワ ヨウメイ)

17歳で庭の世界へ飛び込み、その素晴らしさに魅了されました。造園会社数社で修行を積み、1996年に「作庭処 彌右エ門」(現 十川日本庭園研究室)として独立。以来、個人邸の作庭工事を手がけながら、古庭園に興味を持ち京都を初め全国の庭園を見てまわり研鑽を積んでいます。千葉県山武市在住。

 

<主な経歴>
1998年 重森三玲記念館庭園施工
1999年 靖國神社神池整備工事参加
2001年 靖國神社苑内常駐管理責任者
2004年 中国蘇州市に日本庭園施工

 

通常業務以外に日本庭園の古式工法の検証及び技術指導・講演も行っております。詳しく公開されることがなかった技術を、様々な方々にご提供できればと考えております。ご質問・ご相談等、お気軽にメールにてお問合せください。

 

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